これは俺がナンパ師になる以前の話。
時はさかのぼり10代の頃。17~18歳ぐらいのときだったかなぁ。
当時お付き合いしていた女性(年上)が、某宗教団体に勧誘され家族が崩壊しちゃったんだよね。
結構裕福な家だったのだけれど、
まず母親が勧誘されて入信。
それが発端となり、父親と離婚。
娘(彼女)は、母親に引き取られたけれど、
父親が会社経営者だからか、養育費で月100万円近く振り込んでくるわけ。
でも母親が、その金をまるまる宗教の寄付金につぎ込むから、
住んでる家はボロアパートで貧乏暮らしなんだわ。
彼女は、最初、入信を拒んでいたのだけれど、
やはり集団による同調圧力に屈してしまい、彼女は入信してしまう。
俺は、この歪な家庭環境の謎が知りたくて、彼女が通う、新興宗教の支部に、しばらくついて通ってみることにした。(入信しないで潜入調査してみた)
その宗教は、支部ごとに支部長がいて、マニュアル本にしたがった講義と、あとは食事会という名の報告会(食事しながら悩みを支部長に打ち明ける会)みたいなことをやっていた。
その他、数ヵ月に1回の頻度で、教祖の説法を聞くための全体集会みたいなのがあるらしい。
ただこの支部に行くたびに献金という名の、お布施を払うシステムになってたけど。(笑)
お布施は自由金額なので、ワンコインとかでいいので入場料だと割り切ることにした。ここで揉めるのは得策ではないので。
ただ入信を決めると、高額な品物を購入しないといけないので、もちろん俺は、入信しないで、彼女が道場に行く日に一緒についていくということを繰り返してた。
ちなみに基本、こういう場で、俺は静かにしておく。もしかしたら彼女を救うための抜け道があるかもしれないと思ってたし、どういう考えの団体か知らないと危険だからだ。
何回か通っているうちに、
あるシングルマザーの信者が、
食事会(報告会)にて、支部長に次のような悩みを打ち明けていた。
女「全体集会のさい子供を連れて行くと子供が騒がしくしてしまうのですが、どうすればいいでしょうか?」
支「教祖の話を聞かないなんて問題だから。子供が、ひきつけ起こすまで殴りなさい。そしたら静かになるので。」
この解答を聞いて、俺はブチキレたね。
だって、騒がしい子供を殴れと教えるんだから。
俺は、すかさず支部長と、信者に向かって言い放った。
俺「
なんで子供が騒がしくするのか?
答えは「暇」だからだ。
暇で退屈。
でもその心理状態を別の事に集中させれば、
時間はすぐに経過する。
そのために、ぬりえをやらしたり、
スケッチブックもたして落書きさせたりすればいい。
そういう別の楽しみ方を親が子に教えてあげなければだめなんだ。
だって愛情ってそういうものだろ?
ただ飯を食わして育てたっていうのかい?
ただ人の話を聞かせて教育だっていうのかい?
その行為のどこに愛情があるんだ?
決められた予定調和の行動だけなら機械にプログラミングさせて自動的に飯を与えてるのと変わらない。
よく考えてみてほしい。
あなた達の、教義に子供をひきつけ起こすまで叩けなんて事は書いてないはずだ。
教祖の説法で、そのような事が語られてるとでもいうのか?
世のため、人のため、そう本心で思っているのであれば、それはおかしいと気が付くはずでしょう?
」
この瞬間、俺に賛同する者も出てきて、支部の中で分裂がおきたんだよね。
その日の夜に、彼女に呼び出されて、俺と彼女は話し合った。
彼女は言う。
彼女「私は、家族も入信して、どこにも居場所がないわけ。結婚して連れ出してくれるならいいけれど、そうじゃないのなら、もうあの場所には来ないでほしいの…」
俺「そうか、わかった…」
確かに彼女の言う通り、俺は結婚する気はない。
自分の居場所は、自分で作るしかないわけだけれど、彼女にとって、その勇気や強さは持ちあわしていないのであろう。
次の日から、俺は支部にはいかなくなった。
それから数ヵ月後、この支部で信者が電車に飛び込み自殺した。
それから、この支部のは閉鎖され、今では宗教と関係ない違う店舗が入っている。
この宗教じたいは、まだ存在してるが、教祖が亡くなり、
次の教祖の派閥争いにより複数に分裂しているみたいだ。
俺は、この人達が講義する教義は理解はできる。
しかし、まったく言葉も行動も、ともなっていないと思っている。
「ひきつけ起こすまで子供を叩く」などというセリフは、おかいしいわけで、この真意に愛情など微塵も感じられない。
例えば「騒がしいときは、お尻を叩いて注意する」とかなら理解はできるんだ。
しかし「ひきつけ起こす」この言葉は、確実に、狂ったキーワードである。
なぜこのような現象が起きてしまうのか?
俺は、その事を理解している。
だからこうした体験談を通じて警告しているのだ。
例えば「怒り」という感情がある。
よく、怒ったらいけないとか、マイナス思考はダメだとか言う人がいるけれど、
ならば問う。
なぜ怒りの感情が、存在するのだ?
なぜ喜怒哀楽の感情が、人にそなわっているんだ?
なぜその感情に優越や善悪をつけたがるんだ?
喜びが善で、怒りは悪なのか?
人を傷つけて喜ぶ者は善か?
大切な者を傷つけられて怒る者は悪か?
ほーらな。結局は定義なんだ。
立ち位置でまったく景色は変化する。
感情に善悪があるわけじゃないんだよ。
そのつど定義を自分で考えなきゃ意味がないんだ。
何が善で何が悪か。それは、つねに考えなきゃならない。
人はたやすく心を失う。
だから気を付けなくてはならない。
注意深く生きなければならない。
弱くても、自分の意思で生き抜くことが大切だ。
自分の意思だと思っていたものが、他者によって刷り込まれていないか、よく考えろ。
その先にあるものが、本当の意味での自分だからな。
俺は、どんなに女を抱いてきても、
「結局SEXが全てですよ」なんて言葉は口にしない。
もちろん「愛が全てです」なんて安い言葉も使わない。
心の負け犬なんかになってたまるか。
愛情なんていう得体のしれない化け物ののような感情。
それに逃げ出さずに解を得るために、日々進み続ける。
つねに行動し、経験し、学び、視聴し、それは「解」を出すために必要な修行みたいなもの。
そのために動き考えている。全てを語るのは死ぬ間際でいい。
ちなみに催眠術にかかりやすい人というのは、
生まれつき決まってるんだよね。
100%かかるというわけではなく、
人によって%は違うのだけれど、
暗示にかかりやすいかどうかは、生まれつきの性質があるんだ。(正確には催眠と暗示は別物だけど)だから、それを防ぐには、個々が自覚しとかないとダメなんだ。
自分を疑うという意識が必要で、例えば、自分はマインドにかかりやすい(洗脳されやすい)から気を付けようという自覚があるかどうかで、だいぶ違ってくると思う。
こういう部分を
普段から注意して気を付けてない人は、
つねに心が無防備なわけだから、セキュリティホールが穴だらけみたいなものだからね。
あなたの人生の答えは、あなたにしか出せない。
だから自分を追求することが、つねに必要で、成長し続けなければならない。
よーく考えればわかるはずだ。
経済だって、化学だって、自然だって、人体だって、動物だって、
成長して進化して発展して継続していける。
だから俺は、いつも考えろって言うんだよね。
結果報告
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